パンチボウル3 レッドラインその8 ワイキキトロリー
ワイキキ バス事情 その38
「レッドライン」ワイキキトロリー
はい、こんにちは!
ラオウ・コナ(軽い腰痛夫)と
バーバリアン(風邪を引いたようで疲れています妻)です!
『前回までのあらすじ』そろそろ「レッドライン」。ようやく動き出した「レッドライン」。
ワイキキトロリーの「レッドライン」を紹介しています。
歌い出す運転手さんやアラワイ運河周辺の話の後、
レッドラインは、ホノルル美術館などを通って、
「パンチボウル」に向かいます。
さて、パンチボウルの丘を登ると
『National Memorial Cemetery of The Pacific』
(国立太平洋記念墓地)があります。
*前回も書きましたが、墓地で写真を撮るのは良くないかな?と思うのですが、写真はダメというアナウンスもなく、欧米人の方も撮っていましたから撮らせていただきました。そういうことでご了承下さい。
緑あふれる静かな場所。
神聖な場所ですので、バスの中も、自然と静かになります。
天気も良く、小鳥のさえずりが聞こえるだけで、時が止まったかのような澄んだ空気に包まれています。
英霊たちが安らかに眠る場所として選ばれた理由が分かるような気がします。
墓地ですので、縁もゆかりも無い日本人が訪れることのない場所です。とても良い経験でした。
さて、「国立太平洋記念墓地」ですから、
戦争での英霊が安らかに眠る場所ですが、
今は兵士だけでなく、色々な方が眠っています。
皆さんもご存知な方として、
宇宙飛行士の
エリソン・ショージ・オニヅカ氏が眠っています。
1986年、スペースシャトルチャレンジャー号爆発事故により殉職されました。
今の若い人は知らないでしょうが、
チャレンジャー号爆発事故の映像は、本当に衝撃的でした。
宇宙ロケットの打ち上げが、まだまだ珍しく、みんなの憧れでテレビ放送がされていた時代。
圧倒的な轟音と光と共に打ち上げられたスペースシャトル・チャレンジャー号をテレビカメラが追い、
青空の中を力強く、高く高く飛んで行くチャレンジャー号が、
遥か上空で、突如、爆発。
スペースシャトルの打ち上げショーを見て歓喜に沸いていた全ての人が、
一瞬の出来事に唖然とし、
悲劇に気付いた瞬間、
あまりの悲しみに言葉を失いました。
本当に衝撃でした。
とくにハワイ島、ハワイの方々は、
自分たち州から出た英雄であるオニヅカ氏が、
大空に散った瞬間を目の当たりにしたのですから
その衝撃は計り知れませんね。
その後、オニヅカ氏の名前は、マウナ・ケアの中腹にあるビジターインフォメイションセンターは
「オニヅカセンター」と命名され、
(まさかのオニヅカセンターの写真がありませんでした!!オニヅカセンターから撮影した周辺の写真です)
コナ空港も
「エリソン・オニヅカ・コナ空港」が正式名称になっています。
ハワイ島の人々のオニヅカ氏に対する尊敬と愛情が感じられます。
パンチボウルは有名ですが、「国立太平洋記念墓地」には、通常、行きませんね。
ハワイの英雄エリソン・ショージ・オニヅカ氏が静かに眠っている場所は、
いつも絶えることなく花が飾られています。
「観光」に行く場所ではありませんが、
日系アメリカ人が英雄として愛されている姿は
とても嬉しく感じられます。
日本とハワイを関係を新たな気持ちで角度で感じられる
「パンチボウル」。
レッドラインのバスに揺られて、訪れる価値のある場所だと思います。
それでは、マハロ!
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